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O-BUROSHIKI

おおぶろしきの歌 - あかし ももか
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​もとより人生の​ ほんぶんは

おおぶろしきを​ひろげること。

O-BUROSHIKI" ha,konosekai no naka de girigiri mizukara no minotake ni hazureta ookina mono ya koto wo hito-mae de  hirou si,mina wo tanoshimasetari, yume wo atae tari, yume wo mitari suru-koto desu.

大ぶろしきを広げることの効用は、古今東西、医科学的なものをはじめとしてさまざま、学術的な要素を帯びながら、その有効性が指摘されてきたところであります。

今年、JNN(※じゃぱん・にゃんにゃん・ねっとわーく)おこなった街頭世論調査によれば、「これまでの人生で大風呂敷を広げたことがあるか。」という設問に対して「ある!」と回答した人のうち、「大ぶろしきを広げたことは、よかった」と感じている人が73パーセントにものぼったとされ、また、のこり27パーセントのうち半数以上のひとが「大ぶろしきを広げたことは結果的によかったかどうかわからないが、後悔はしていない。」と回答したことが明らかになっており、その有効性を裏付けています。

 

一方で、無防備に大風呂敷を広げることによる弊害・危険性は、我々の想像をはるかに超えるものであり、大風呂敷初心者にとっては、おおいに気をつけなくてはならない大問題の一つです。

たとえば人は、あるいっときの感情のままに、壮大な大風呂敷を広げることがあります。ただ壮大な大風呂敷を広げるだけでなく、家の両隣三軒のドアを叩き、わざわざ玄関先で大風呂敷を広げ、何時間も広げ続け、結果的に村八分の憂き目にあったり、また、完全に無謀な大風呂敷を、考え無しに広げることによって、家庭や職場の人から、「なんでも大変なことは、大風呂敷を広げているやつにやらせておけばよい。」という悪の力学をもって、利用される場合があるからです。

 

ところが、これまで社会的に成功を収めたとされる過去の偉人たちが「偉大である」所以として、彼らが危険をかえりみず、つねに、くじけず・たゆまず・はりきって、さらには実に手際鮮やかに、何枚も、何枚も、大風呂敷を広げ続けたゆえにこそ、当初はだれも信じることがなかったような、偉大な業績を成しえたということには、深い意義を見出さざるをえません。

 

そうした理由から、わたくしあかしももかは、我々が生きるこの現代にも、大風呂敷を堂々と広げることの意義をみとめ、さらには広く、大勢のひとびとにこれらの道をひらくための第一歩を、示すべき!と、考えたので、あります。ごほん。

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